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2025/02/07 18:49


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その喫茶店で出される珈琲はとても不味かった

レビューは酷評だらけで店を辞めたほうがいいという口コミもあった

しかし悪いのは味だけで照明が目に優しい店内は趣きのあるアンティークで囲まれ落ち着きのある空間だった

小さな本棚に並べてある文学本の趣味もよく,店の隅に佇む木漏れ日のようにぽろぽろと流れるレコードも心地がよかった

僕はそんな人の寄りつかないその喫茶店が好きだった

個人的な詮索もなにもしてこない寡黙な初老の店主との適切な距離感も好きだった

6年ほど通いつめた頃,きっかけというきっかけはないが僕はふと店主に個人的な詮索をした。

カウンター越しに静かな所作でウェッジウッドのカップに注がれる黒く濁ったお茶のような不味いネルドリップ珈琲についてだ

店主は小さく笑って秘密を話してくれた

その昔,若くして亡くなった妻が自信ありげに下手くそな珈琲を毎朝淹れてくれたのだと

その味が忘れられず 忘れたくなくてこうして想い出の延命をしているのだと語ってくれた

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あれから何度も桜が散るのを見送って住む土地も変わり僕は家庭をもった

料理が好きな僕は家族の朝食を用意し、最後に珈琲を淹れて三人で手を合わせて食事をはじめる

ウェッジウッドのカップを手に取り珈琲を口に含んだ妻がくすぐったそうに笑って言う

「 あなた本当に珈琲淹れるのへたくそね 」

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